フィギュアの評価について

こんな時間だけど
このへんの記事を見ながらいろいろ考えちゃった
いや、確かにこの間のWFは人多かったんだけど、たぶん企業方面買いにきたんだろうなーってのが結構目に見えてわかるんだよね
長門ピンキーの話とか初めて知ったんだけど、俺は叩く理由がわからない。仮にピンキーというスタイルを知らなかったとしても、やっぱりわからないと思う。
フィギュアを評価する位置が根本的にずれてるんだろうなあ。


フィギュアに「答え」というものは存在しません。
あえて言うなら、多くの人に良い評価をもらえる形が答えと言えなくもないんだけど、じゃあその基準って何よ、という話になるな。
この手の良し悪しは、そのものを形作る記号の評価なんだよね。
とある二次元のキャラクターがあったとして、フィギュアはそのキャラクターにそっくりでなければ正解ではない、というのは模型的には間違い。
だってそのキャラクターは二次元であって三次元ではないから、記号を三次元に変換したうえで型をおこさないといけないわけだよ。二次元の正解しかないものにどうやって三次元を一致させるんだって話になるわけだ。
その変換は原型師のアレンジっていうフィルターで行われるわけだから、作る人によって千差万別。そしてそれを見る側の人間が、あらかじめ持っている立体としてのイメージ像もやっぱりその人のフィルターにかかるわけだから千差万別。正解像なんてもんは見る人の内側にしか存在しないぞ、と。そんなあいまいなもので「コレは正解、不正解」って話をどうやってするんだ。
フィギュアの評価はどういう考え方、どういう表現で立体におこされていて、そのおこされた立体をみて、アリもしない正解像に当てはめるよりもそれを気に入るかどうかで決まるわけだね。
8頭身のキャラを2頭身にアレンジしてるフィギュアもちゃんと需要があるように、どんなアレンジでつくられてもそれを気に入ってくれる人がいれば需要がある、とそういう世界なわけだ。


そういった前提や、アレンジを楽しむことを知らないとフィギュアは楽しめないよね。
長門ピンキーの件にしたって、ピカソの絵をみて何の知識もなく「子供の落書き?」って言ってるのと似たようなもんなんじゃないかな。
模型やフィギュアを楽しむのにそういうちょっと凝ったステップがいるから、そのステップを緩和する説明をできるものがほしいな、って言うのがこの記事の言いたいことだよね。
今のWFがその役目をはたせてるかというとやっぱり微妙だとおもう。とっかかりには確かになってるんだけど、その先がないというか。


あとこれ余談だけど、写真取りに行っても空気的に感想言いづらい場合のが多くてちょっと悲しい思いをすることが結構多いです。
俺がわりと人見知りするのもあるけど、買うときくらいしか話しかけられないしなあ。
そのディーラーの人がこだわってる部分とか、それを見た側がどう感じたかをお互いに明示できるような何かがあるといいんだけどねぇ